忖度(そんたく)






忖度(そんたく)=他人の心情を推し量ること、また、推し量って相手に配慮すること・・・

という意味合いの言葉です。



とても素晴らしい人の心の在り方だと思います。

ですが、この『忖度する心』に、別の感情や想いが付随することが多々あります。

ありすぎるといっても過言ではないでしょう。


人は人と調和して生きている生きものです。

だから『忖度する心』は大切です。

でも、忖度している時の自分の感情や心をしっかりと見ている人はどれほどいるのでしょうか?


空気を読んで忖度するあまり、自分が望んでもいないことをしたり

みんなが意見を出し合う場で、忖度し合うあまり、誰も望んでいないほうへことが進んでしまったり

忖度するあまり自分を偽って表現していたり


こんなことで世界がねじ曲がったり、誰もが望まない方向へ突き進んだり・・・

それでも人は『忖度』を続けて、誰も望まないことをするということへの「抵抗」をあきらめる。


『戦争』はその最も悲惨な表れなのだと思います。




忖度できる心は尊く大切なものです。

でもそれは、自分を苦しめ自分を捻じ曲げ、さらには自分の周りの大切なものを苦しめる『言い訳』にしてはならないということです。


『みんながそういう考えだろうから、自分も賛同するしかない』

それは『忖度』という美しいものではなく、『忖度』を言い訳にした責任転換でしかないと思います。


『自己責任』の無さゆえに行われた『忖度』は、『みんなが・・・』という責任転換が大いにあるわけです。

そして、望まないことをしなければならない自分と、忖度しない時に起こる自分への非難を天秤にかけて、結果、誰も望まない『賛成』をしていく・・・

これはもはや『忖度』ではなく、『忖度した』という自己責任回避でしかありません。

誰も望んでいないにも関わらず、賛成するのですから・・・・忖度出来ていないわけです。


これを

『忖度したから』

『空気を読んでいるから』

としてまかり通ってしまっています。


これは

『自分に責任が及ばないように』

『自分が非難されないように』

『自分が後ろ指をさされないように』

という配慮であって、決して『忖度』ではありませんね。




西日本では地震に続き大雨が降り、大きな災害となっています。

人が本当に『忖度』していたのであれば、こんなに大きな被害にはなっていなかったはずです。


山を削れば地層が滑るのは自明の理で、知っていてそれをそのままなぜ放置していた?と思います。

しかも何年も前に前例が起こっていたにも関わらず・・・です。

でも「可哀そう」と言っておかなければ非難される。

だから声をそろえて同情する。

それが問題を再び有耶無耶にしてしまう。



チェルノブイリでも甚大な被害が出た前例があります。

でも学んでいない。

そして再び有耶無耶に事が流れていく。



そんなことが日常の中にたくさんあります。

会社で、学校で、家族の間で・・・・

忖度ではない責任転換が事態を悪化させてゆく。


自体が悪化するとは、『誰も望んでいない』方向へ流れていくということです。

自分も望んでいない。

家族も望んでいない。

同僚もクラスメイトも望んでいない。

なのに・・・・



自分の心に蓋をして、自分を偽り騙して・・・

さらには自己責任を放棄して・・・

『あなたのためにやっている』

『みんなのためにやっている』

そう自分に言い聞かせているだけ。



何を恐れていますか?

判断され、判定され、裁断され、裁定されるのを恐れていますか?

後ろ指をさされ、噂され、ささやかれるのを恐れていますか?


それは

自分もしていることだから、されたときの恐ろしさを垣間見るのでしょう。

でも、したところで何も変わりません。

だから、されたところで何も変わらない。


では本当は何を恐れているのか?





自分の心がわからないのに、他人の心など推し量れるわけがない。

どうして『忖度』ができるでしょう?


自分の心がちゃんとわかっている人なら、ちゃんと声をあげるでしょう。

誰も望んでいないことがわかるでしょうから。


誰も望んでいない方向へことが流れるのに、誰も声をあげない・・・・

それはきっと、誰も自分の心さえわからない状態なのでしょう。




自分の

心と書いて

となります。


息を見つめると

心の乱れがよくわかります。


軽やかに

穏やかに

深々と

息が出来ていないなら

心は重く

心は荒れ

心は浅はかに波打っているということです。



他人の気持ちを推し量る前に

自分の心を知ることです。

自分に嘘偽りなく

自分の本心から逃げず

真っ直ぐに見つめて自分の心を知れば

推し量るまでもなく他人の心はわかります。


他人の心がわからないのは

自分の心がわかっていないからです。


そして心は・・・・・

息という「鏡」にありありと映っています。



身体も同じ

経絡の始まりは「肺経」です。

つまり「呼吸」から経絡の気の巡りが始まります。

だから「息」が乱れれば、全身にその乱れが波及します。

心の乱れが身体の乱れへと流れていく理(ことわり)です。


呼吸は

心と身体に跨る唯一の接触点です。

そして「意」を持ち込める場所でもあります。

心と身体の接点に意識することで、自分自身を変えて行けるということです。



人の忖度をする前に

自らの心の忖度をしてほしいと思います。

そうすれば

誰も望まないほうへ進むようなことも無くなっていくでしょう。

もちろん自分に対しても・・・です。


心が望まない方向へ流れていけば

身体も望まない方向へ流れていきます。



息が整えば

自分の心がありありと見えてきます

それに心を乱せば

息は乱れ

鏡に映る心は歪みます。

歪みのない目で自分の心を見つめ

心を整え

身体を整え

そうしてはじめて「忖度」出来る心となるでしょう。


心を隠し、歪めて「見たいものだけ見ている」うちは、忖度など決してできません。

ただただ真っ直ぐに見つめて

自分の心を受け入れる

それが手放すということ・・・

強く歪んだ感情が生まれた記憶

そんな記憶を握り締めている

だからその時の感情まで付随して来るわけです。


見えないところに追いやるわけではありません。

自分の中にある様々な喜怒哀楽・・・

それをいつ見ても、心が乱れない・・・

それが、受け入れ手放した状態です。



他人の心を忖度する前に

自分の心を

自分の息に映る心を

まずは忖度してほしいと思います。




The Healer by Koji Asada

龍使いの女神の力と龍使いの力を持つHealer & Therapist 独自のヒーリングセラピーで『魂』まで【癒し】をお届けします

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淺田 こーじ


独自のボディワークとヒーリングワークによる「ゆらぎ」のセラピーメソッド開発

●ボディセラピスト
●ヒーラー
●アロマブレンダー

特定非営利活動法人 日本メディカルハーブ協会
 メディカルハーブ・コーディネーター
公益社団法人 日本アロマ環境協会
 アロマテラピーアドバイザー