「癒奏術」 ~「共生」という大いなる可能性





過去、私の知っている双極性障害や強迫性障害と診断された方たちは、一様に身体的な不調も同時に持っていました。

本人たちもそれとなくは不調を感じてはいますが

『何がどうなっているのか?』

ということまでは気付いていません。


というよりも、もともと不調を無視してしまうようなところが見受けられます。

だから、体調が悪くても無理をしてしまいます。

しかし、本人は「無理をしている」とは思っていません。


おそらく、このような状況が続くことで、身体から心へと不調が伝播していき、やがて心の「限界点」に達したとき、「症状」となって残ってしまうのかもしれません。

残ってしまうというのは、障害自体が「出来事の記憶」から誘発されるものだからです。


「出来事の記憶」が不安を呼び起こし、その心の動きが今度は「身体に伝播」して、身体症状とリンクした症状を引き起こしたりします。

「予期不安」というものですね。



上記の方たちの身体的な特徴として、首肩のハリやコリは言うまでもなく、顎のコリやハリ、頭部のコリが尋常ではありませんでした。

頭が「でこぼこ」しているくらいです。

特に頭は『剣山(生け花のけんざん)で頭をたたきたいくらい』と、笑いながらそんな表現をいつもしていたくらいで、なんらかの自覚はあったのですが、それが身体のコリや強張りからくるものとは気づいていません。


また、当然ながらお顔も常に強張っています。

ここまでこっている人にはなかなかお目にかかれないくらいのコリ方です。

これだけコリがあると、まず間違いなく頭蓋骨は変形しているはずです。

変形と言っても、頭蓋骨の矢状縫合(縫い目)部分で歪みが出ているということです。 

そうなると当然その中にある「脳」にも影響が出るでしょう。


また、案の定と言いますか、しょっちゅう頭痛を訴えています。

しかし、あまりにも日常のことなので、慣れてしまっている部分もあります。

だから放っておく・・・ 

という悪循環になってしまいます。



私の恩師とも言える鍼灸師の先生は、こういった精神疾患と呼ばれる方たちに対する鍼治療も行っています。

頭部に鍼を打つのは当然ながら、身体のあちこちへも打っていきます。

それこそ「足の指先」まで

時にはお灸や吸い玉なども使っておられるようです。


経絡・経穴の状態を見たときに

そこまで(全身に)反応が出ている・・・

ということです。





心と身体と気の流れ


心と身体と気の流れは密接に関係しています。

例えば、不安を抱えていれば心経、心包経に出てきます。

それがコリやハリとなって現れています。

そこから今度は呼吸が浅くなり、肺経に現れます。

気付けば力強く「手を握り締めて」いたり・・・


これらの経絡はすべて手にあります。


そしてそれが続くと、今度は「お腹の調子」に出たりすることもあります。

腸の経絡も手にあります。


腸に影響が出ると「免疫系」に影響が出ます。

生体系が狂いだすと、今度は別の内臓へと波及していきます。

そしてリンパなども影響が出たりします。


神経系統で見ると、太陽神経叢などに影響が出て、食べたり飲んだりする行動に影響が出たりします。

交感神経も影響を受けて、睡眠などにも影響が出たりします。


そうなると、見た目も何故か「どんより」として、覇気が感じられなくなってきます。

エネルギーの枯渇が現れているということです。



これらはあくまでも推察ですが、およそ様々な影響が波紋のように広がっていくのはわかります。

では、この「広がり続けている波紋」をどのように治めていくのか?





共生


まず「絶対」という手段などないのかもしれません。

そんな中で様々な可能性を様々な方々が追求しておられます。

それらの様々な可能性を学ばせていただきながら、セラピーという側から出来ること・・・という可能性も追求できるでしょう。


多くの人たちの様々な可能性を奏(そう)することが出来れば、もっと楽に目的地に到達することが出来ると思います。



癒奏術とは術に囚われて盲目になる「術(すべ)」ではありません。

様々な人々の技や知恵、様々な可能性を奏するために「共生」する「術(すべ)」でもあります。


出来ること、出来ないこと

その自己認識を偽らないこと

そんな自己の「見極め」が自己信頼となります。


その見極めを怠る「盲目」さが「無明(むみょう)」と言われるものです。

その「無明」こそが「闇」

闇とは「暗がり」ではなく「観ない」という意識です。



大切なのは「癒す」ことではなく「癒される」ことです。

この立ち位置の大きな違いを忘れると、闇に囚われるでしょう。

「癒す」ために「何をするか」ではなく

「癒される」ために「何が出来るか」

ということです。


そうして「今出来る最善を尽くす」ことが大切です。

出来ないものがあれば出来るもの、出来るところの力を借りる。

つまりは「共生」する・・・

そうすることで可能性は大きく広がります。


「取り合う」のではなく「出し合う」

「奪い合う」のではなく「与え合う」

それが出来れば大きな力となるでしょう。




セラピーの中の共生


一見、違いのある技を自己の中に「共生」させることで「癒奏術」が可能となります。

心を静める技

身体を静める技

エネルギーを静める技

それらの技を調和させて、波紋の広がりを感じながら癒しの旋律を奏でる。


言葉にすれば明確な感じもしますが、調和の感覚は非常に朧気(おぼろげ)なものです。

そんな朧気な感覚を脳裡に映し出しながら、調和という共生作業をしている・・・

ということになります。 




同時に癒しを・・・ 


心と身体とエネルギー

それらに同時に「癒し」を与えるのが「癒奏術」のセラピーです。

身体から心へ「癒し」の波紋が広がったとき、心にはすでに「癒し」の香りの効果が現れて、身体からの「癒し」を「受け取りやすい」状態となっています。

そして、その波紋が心でさらに広がり、エネルギーへと波が伝わります。

身体を包み込むエネルギーの波動が変わると、身体にその波紋が広がります。

同時に心にも伝播しています。

そうやって、心と身体とエネルギーが「癒し」の波紋を伝え合い、そして受容し合いながらやがて「自らを癒し始め」ます。 


様々な癒しの「術」を奏でることで、心と身体とエネルギーが調和し、自ら癒しを奏で始める・・・ 

これが、癒しを奏でる「癒奏術・ゆらぎセラピー」です。



そんな「調和の旋律」を感じる心が「癒奏術」の極意でもあります。

極意とは、知識でもなく技術でもなく才能でもありません。

ただ「心意」の在り方のみです。

ただただ、ありのままを観て、感じて、知る。 


不調は、心と身体とエネルギーが三位一体となり広がっています。

だからこそ、「広がるごとく静める」セラピーとなったわけです。


影響という波紋が広がるごとき有様を見て、静める有様を知るに至ったということです。




現在も「癒奏術」を高めるために、様々な方々にお力添えをいただいています。

せっかくいただいたお力を無駄にすることなく

盲目の「闇」に囚われることなく

これからも精進していきたいと思います。 





The Healer by Koji Asada

龍使いの女神の力と龍使いの力を持つHealer & Therapist 独自のヒーリングセラピーで『魂』まで【癒し】をお届けします

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淺田 こーじ


独自のボディワークとヒーリングワークによる「ゆらぎ」のセラピーメソッド開発

●ボディセラピスト
●ヒーラー
●アロマブレンダー

特定非営利活動法人 日本メディカルハーブ協会
 メディカルハーブ・コーディネーター
公益社団法人 日本アロマ環境協会
 アロマテラピーアドバイザー