枷(かせ)  ~(続)好きを生きる





人は「枷(かせ)」に慣れすぎてしまって、知らず知らずのうちに「枷」を利用する。

それは自己防衛のためであったり、人をコントロールするためのものであったり・・・


枷に囚われることによって「仲間意識」が生まれたりもする。

同じ「枷」に繋がれた同士・・・ということである。

そこから離脱しようものなら、即「仲間外れ」となる。

「枷」によるコントロール意識が働いているということだ。


時に言い訳にも使う。

誰かに対する「悪行」は「枷のせい」ということ。

「枷に繋がれているから・・・」

「仲間外れになるから・・・」

「友達を失うから・・・」

「仕事を失うから・・・」

「そもそも、枷に繋がれていたいから・・・」


社会は「枷」で成り立っているといってもいいくらいである。

身近なところ、あちらこちらに枷がある。

そして、知らず知らずのうちに自分も枷を誰かに嵌めていたりする。



「枷」は「枷」である。

決してそれは「繋がり」と言えるものではない。

「鎖」で繋がれた「繋がり」になんの意味があるのか?

そこにある「安心」は裏側に「恐れ」を含んでいる。

「繋がり」を解いた時の恐れ・・・・

その「恐れ」から逃れるための「安心」

そんな鎖の繋がり・・・・・・


それは「繋がり」ではなく「繋がれ」である。

自由の代償に得た恐れからの一時的な緩衝(かんしょう)・・・


その「鎖」を言葉にするなら

『しょうがない』

そんな言葉となる。


『だってしょうがないでしょ』

『そうするしかしようがない』

『仕方ないからしているだけ』


そんな「しょうがない」状況を暗黙で作り出す。

それがコントロール。


『私がこうなんだから、当然あなたもそうするべきでしょう』

『これはこういうものなんだから』

『私を裏切るの?』


無言のプレッシャーを与えていたりする。

言葉にする者もある。




枷に囚われたとき、人は「自由」と「安心」を同時に失う。

「安心」のために付けたはずの「枷」は、その裏側に「恐れ」を内在しているから。

わざわざ自由を捨てて「恐れ」を嵌めているということになる。

「枷」を嵌めなければ生まれない「恐れ」

そんな「恐れ」をわざわざ付けている。



「自由」の中にある「自己責任」から逃れるために、「枷」を嵌めて「恐れ」を生み出して、自分で自分を「逃れられない」状況に追い込んでいる。

ある意味「責任」と「恐れ」を天秤にかけながら、「枷」に内在する「恐れ」に目をつぶり、「安心」のほうだけを見ていたりする。

なるべく「恐れ」を見ないように・・・・



自分に対する「責任」を放棄してしまえば、もはや「自分を生きる」ことは出来ない。

自分を生きることが出来なければ、「好きを生きる」ことなど到底叶わない。

それは「自分を他人に委ねる」ことに等しい。



「好き」を生きたいなら、自分を他人に委ねてはならない。

責任から逃れてもならない。

自分の責任は自分で負う・・・

それが「自立」するということ。

それが「枷」のない自由の姿である。


自分を誰にも委ねない・・・・

それが自分の「尊厳」である。





The Healer by Koji Asada

龍使いの女神の力と龍使いの力を持つHealer & Therapist 独自のヒーリングセラピーで『魂』まで【癒し】をお届けします

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淺田 こーじ


独自のボディワークとヒーリングワークによる「ゆらぎ」のセラピーメソッド開発

●ボディセラピスト
●ヒーラー
●アロマブレンダー

特定非営利活動法人 日本メディカルハーブ協会
 メディカルハーブ・コーディネーター
公益社団法人 日本アロマ環境協会
 アロマテラピーアドバイザー