パラダイムロスト 占星学とアロマ 9月20日乙女座♍新月 9月23日秋分



昔、大好きなプログレバンドのアルバムに「パラダイス・ロスト(失楽園)」というのがあったのを思い出します(笑)



先日、心理学を専攻している女子大生と話をする機会があって、色々と勉強になる話をさせていただきました。

大学生ならではの・・・それこそ社会に出る前の「乙女の悩み」が、今の乙女座シーズンに見事にマッチしていて、大変面白かったです。

面白いと言ったら失礼かもしれませんね。


そんな会話の中で「パラダイム」というものが明確に見えたこともあって、立ち位置によって見えたり見えなかったりするものだという認識もできました。

こちらからはよく見えているけど、本人には見えていない・・・

それは「中にいる」か「外にいる」かの違いでもあります。


では、そんな「パラダイム」とは何なのでしょうか?





パラダイム


「パラダイムシフト」という言葉はありますが、「パラダイムロスト」という言葉は見当たらない・・・・

と思ったが、同名の本が出版されていました(笑)

しかも、「パラダイスロスト(失楽園)」にかけて付けられたタイトルという・・・

考えることは同じかぁ(笑)



ちなみに「スティグマ」とは象徴やシンボルの意味合いのもので、イエスキリストの手のひらの「聖痕」もその象徴とされる。



パラダイムもスティグマも、心の中にある自分自身の「規範」となるもの。

選択や判断をする際の「拠り所」といえるものである。

但し、それは顕在意識に現れてくるものもあれば、潜在意識に刷り込まれた「無意識下の規範」である場合もある。

「無意識下の規範」は「潜在意識の恒常性」となるものでもある。

顕在意識で心を変えようとしても、潜在意識が今まで通りの「規範」に戻そうとする。

その「戻そうとする」のが「恒常性」です。




例えば、企業の研修などでよく語られる例として「学校試験のパラダイム」というものがあります。

テストを受けるとき、問題に対して答えが「一つ」出れば、当然、次の問題へと進んでいきます。

ひとつの問題に「たくさんの答えの可能性」をいちいち列記する人はめったにいません。

だから、成長期にそんなテストを続けることによって、「正解は一つ」という「パラダイム」が生まれるわけです。

そして、それが無意識に浸透して刷り込まれている。

だから潜在意識下に「恒常性」としての「規範」が確立されているわけです。


3+5=?

正解は8ですよね。

この「一つの正解」というパラダイムを生み出さないために考えられたのが

8=?+?

こうすることによって正解は一つではなくなります。

ただ、これでは「一つの出来事に対して多くの問題が絡んでいる」というふうにも取れます。

別の「パラダイム」を生み出すことにもなりますね。




このパラダイムに気付いたからと言って、すぐに「削除」出来るわけではありません。

それは、企業研修でパラダイムに関して熱弁しているにもかかわらず、結果が出ていないことでわかります。

気付いたところで結局は無意識に「パラダイム」に従ってしまって、毎日を過ごしていますから・・・

「とりあえず研修で・・・」というのも「パラダイム化」してしまっているかもしれませんね。



パラダイムは人に「安心」を与えます。

それは、「規範」に沿うことが「優秀」であり、「善」であり、「正解」であるという「パラダイム」によるものです。

しかし、それは社会経験、人生経験を重ねるにつれて疑問を投げかけてきます。

知識を「成長」させるという目的で作られた「パラダイム」は、安心を得るためには「知識を成長させ続けなければならない」という「パラダイム」も同時に生み出します。

あちらこちらに氾濫する「資格」や「勉強会」も、「パラダイム」の中にあるものといえるかもしれません。

そこには「知識欲」という欲求の裏に隠された、「真の欲求」としての「潜在意識の恒常性維持」という「安心欲求」があります。

つまり、「パラダイム」の中の安心・・・・

ということです。



「正解は一つ」

この「パラダイム」の中にある人には、二重三重に重なった「パラダイム」は想像がつかないかもしれません。

なぜなら「正解は一つ」だからです。





パラダイムと潜在意識の恒常性


人の思考は常に「パラダイム」の檻に囚われています。

これは人が生きる上で不可欠な要素とも言えます。

「成功体験を続ける」という潜在意識の「恒常性」はそのために存在します。

しかし、「成功体験」であるはずの「パラダイム」が、自分の人生を「成功」へと導かないものだとしたら?

それは単なる「足かせ」となるでしょう。


それでも人は「パラダイム」の中にいることで安心を得ようとします。

それは「安心」という「成功」があるというよりも、「失敗」しないための「パラダイム」に、いつしかすり替わっています。




例えば、精神疾患の人が「向精神薬」を服用し始めると、今度はそれをやめられなくなります。

「服用をやめる」ということが、恐ろしく「不安」をもたらすからです。

それと同じことで、人生を「成功」へと導かないにもかかわらず、「やめられない」という状態なのだろうと思います。





「パラダイム」から離脱することを「不安」と思えるということは、まだまだ「余裕」があるということです。

「変わらないでいられる」ゆとりが若干でもあれば、「変わらない」ほうを選択するということです。

「変わる」ということは今までの「パラダイム」から「離脱」することです。

「成功体験」のない世界へ行くことを恐れるのは当然のことです。

それが人間のシステムだから仕方がありません。


ですが、本当に「変わらなければならない状況」に追い込まれたら、人は意外にあっさりと「変われる」ものです。

「変わらなければいけない状況」とは、過去の「パラダイム」が完全に通用しない状況です。

そうなると、人は新たな「パラダイムを創造」する方向へ向かいます。


「もう戻れない・・・・」


その状況こそが「パラダイム・ロスト」です。





自らの「パラダイム」を自らで創造する・・・

そんな「パラダイム」が共生する新たな「パラダイム」

そんな世界を夢見ています。

そして、おそらくそうなっていくでしょう。

まだしばらくはかかるでしょうが・・・・・・・・



正解は一つじゃありません。

「パラダイム」も初めから一つじゃありません。

いくつものパラダイムが折り重なって世界は成り立っています。

ただ、今まであった大きなパラダイムのいくつかが、ひび割れ壊れてい行っている状況でもあります。

そんななかで、小さなパラダイムがいくつも創造されて行っています。

「パラダイムロスト」と「パラダイムクリエイション」が同時進行している状態です。

これが「パラダイムシフト」です。





パラダイムという「世界観」


人は元々「自分の世界観」の中で生きています。

それは自分独自の「パラダイム」であります。

その「自分のパラダイム」を大きな「パラダイム」に沿わせていたわけです。


どうやって「沿わせる」のか?


それが「人の目を生きる」ということで成り立ちます。


人がどう見るか

人がどう思うか

人が何を言っているか

人が何に価値を置いているか


それらを総体して判断したものを「常識」として自分の世界を組み立てています。

「常識」というパラダイムですね。

しかし、その「常識」はあくまで「想像」の産物でしかありません。

上記のように「人の価値観」を自らが判断して、それに「沿わせた」だけのものです。

それを「正解」と思えるのは、「正解は一つ」という「パラダイム」の中での「思考」の産物です。


たった「一つの正解」のパラダイムが「一つの常識」というパラダイムを創造させているわけで、そうやって創造した「常識のパラダイム」という檻の中で、潜在意識は恒常性を保ち、結果「安心」を得ます。




何が言いたいかというと、どのみち以前から人は自ら「パラダイム」を創造しているということです。


パラダイムは誰かが作ったものではなく、自らが創造することでしか生まれません。

何故なら、「パラダイム」自体が個人の「心の中」に存在するものだからです。

自分の外側にあるのではなく「内側」にあるものです。

だからそれは、その人にしか創造できないものです。


自分で創造するパラダイムを、人が創造したものと「似通わせている」ということ。

すこしでも「似ているもの」にすることで「安心」するという「パラダイム」。

それが「たった一つの正解」という「パラダイム」なのでしょう。


イエスキリストの「聖痕」のように、尊び後生大事にしている「常識」という名の「スティグマ」です。





「旗印」というスティグマ


「パラダイム」も「スティグマ」も、どちらも「自ら創り出したもの」です。

あなたが「常識」と思っている「常識」は、自分が作り出した「常識」でしかありません。

常に意識しているから常識なわけで、だからこそ「パラダイム」であり「スティグマ」なのです。

それは世界共通のものではなく、あなたが世界共通だと勝手に「思っている」ことです。


あなたが「常識」を掲げて人を糾弾しているとしたら、それは自らの「エゴ」を押し付けているにすぎません。

それほど「常識」とは「個人的」な見解です。


「正義」もまた然り。

あなたが創造したパラダイムの正義です。

善悪も優劣も正しさも間違いも・・・・

すべては創造の産物です。




「常識」のパラダイムには、もう一つ利点があります。

それは「自己責任」を回避するという利点です。

常識だからということで、皆がそうだから私だけがそう思っているんじゃない・・・

・・・という責任回避です。


正義も善悪も正しさも間違いも全て同じ。

「自分だけじゃない」という責任回避を得るためのパラダイムとも言えます。


ですが、「自分だけじゃない」というのも「創造」したものです。

周りにそれとなく似せただけで、創造したのは自分自身です。

だから「常識」を語る時にも絶対的な「自己責任」が伴います。

「逃げられる」パラダイムに沿っているからといって、自ら創造したものであれば責任は当然あります。

それを自らが「常識」として規定したわけです。

自分の意志で・・・・

ならば堂々と「自分の考え」として言わなければならないはずです。

「みんなが・・・」というのは責任回避でしかありません。





長年愛用してきた「常識」というものを、あなたは心から歓迎出来ているのでしょうか?

それを本当に「幸福の道しるべ」として、人生の象徴と出来ているのでしょうか?

もし本当に心から歓迎出来ているのであれば、それはまぎれもなくあなたの「正解」なのだと思います。

しかしそれは、あなたの正解であって他人の正解ではありません。

ですが他人にとっても間違いではありませんね。


もし、心から歓迎出来ていないのであれば、そんな常識を振りかざすことは慎むべきでしょう。

それを振りかざすことは、自分のエゴを安心させるだけのためにある行為です。

「正義」という名の「スティグマ」です。

「正しさ」という名の「スティグマ」です。



あなたの「パラダイム」が心から歓迎されているものなら、それは「これが正しい」ということではなく、「私はこれがよかった」ということです。

これが「自己責任」のある言葉です。


「常識」を振りかざし、「正義」を振りかざしたとき、人は「責任回避」をしています。

つまり「無責任」となっているわけです。

それは、その「パラダイム」を心から歓迎出来ていない証拠でもあります。

自分が納得できていないものを、他人を使って納得しようとする行為とも言えるでしょう。


一見、人を正しているようで、実は「自分は間違ってない!」と叫んでいるように聞こえます。


何故叫ぶのか?

それは心から歓迎出来ていないことを、自分は知っているからです。

知っていて目を背けているからです。


しかし、腑に落ちていないから心が揺さぶられる・・・

ブレているわけです。

その「揺さぶられる悲鳴」なのでしょう。





中心軸


自分の中心軸を合わせること・・・・

それは魂本来の願いとエゴを合わせるということです。

人である限りエゴは無くなりません。

魂も無くなりません。

どちらも人にとって必要なものであり、心という器に一緒に居ます。

それが各々違うことを言っていると、いつまでも揺さぶられてしまうわけです。


このエゴと魂を一致させる・・・

和合させることが大切です。





魂の望みは大きく尊いものです。

しかしそれは人生を一つに規定するものではありません。

どの道を通るか・・・・という選択肢はいくつもあります。

魂が問うのは「在り方」です。

道ではありません。


自分が生まれ育ちながら「観た」世界で、エゴが育ち「道」を熱望します。

そんな「エゴの望む道」と「魂の望む在り方」を一致させる。

それが魂とエゴの和合です。


それが一致し和合したとき、心から歓迎できる「パラダイム」が生まれます。

その新たなパラダイムは、かつてのパラダイムから離脱し独立して、他の独立したパラダイムと共生を始めるでしょう。


「自立と共生」

かつてそれを旗印に掲げた政治家もいます。

しかし、これらは政治で創造するものではなく、個人が個人の意思で創造するものです。

政治は先導役にあらず・・・です。



自然とは「自立と共生」のシステムで成り立っています。


人も在るべき姿に還る・・・


それが「パラダイムロスト」という「破壊」から始まります。




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占星学とアロマ


ようやくたどり着きました(^^;


昨日、アロマフレグランス「Glass Heart(グラスハート)」を出したのは、「パラダイムロスト」の時代が始まるという意味もあり、「揺さぶられる心」を癒すためであります。

Re:Birth Maria(マリア)のブレンドの香りをフレグランスにしたGlass Heartが、そんな心にきっと役に立つはずです。



人は皆、同じもので喜怒哀楽を感じます。

表現や行動は違えど心の反応は人である限り変わりありません。

そのことを信頼出来れば、自分と他人の「境界」は薄れてゆきます。

と同時に、人の痛みも悲しみも喜びも怒りも、わが心に伝わります。

「笑っているけど悲しいだろうな・・・」

「今は悲しいけど喜びが待っているはず・・・」

手に取るように理解できるでしょう。

それを「ワンネス」と言うのかもしれません。


違うけど同じ


「パラダイムロスト」の痛みと「パラダイムクリエイション」の喜び・・・

それを共に感じる心・・・

壊れやすいガラスのハート

でも透き通った透明なハート♡


ウソも誤魔化しも必要のない・・・

素直さが否定されない・・・


そんな世界への産みの痛みを癒す・・・・・



秋分から始まる現実のシフトが、多くのパラダイムを揺さぶるでしょう。

心を揺さぶり道を揺さぶる

やがて心から歓迎できるパラダイムへ向かって

破壊と創造が始まります





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The Healer by Koji Asada

龍使いの女神の力と龍使いの力を持つHealer & Therapist 独自のヒーリングセラピーで『魂』まで【癒し】をお届けします

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淺田 こーじ


独自のボディワークとヒーリングワークによる「ゆらぎ」のセラピーメソッド開発

●ボディセラピスト
●ヒーラー
●アロマブレンダー

特定非営利活動法人 日本メディカルハーブ協会
 メディカルハーブ・コーディネーター
公益社団法人 日本アロマ環境協会
 アロマテラピーアドバイザー