Wish ~時代の切り替わり





例えば、江戸時代から明治時代に変わる時は、廃刀令や丁髷(ちょんまげ)を落として、服装も西洋服に変わっていった。

廃藩置県が行われ、議員制度が取り入れられて、見た目やシステムなどがガラリと大きく変わった。

だから

「時代が変わった」

と、誰もが感じただろうと思います。



しかし、戦国時代から江戸時代に変わった時、どれほどの人が「時代が変わった」と感じたでしょうか?


内乱に明け暮れた足利政権から織田、豊臣と目まぐるしく入れ替わり、徳川へと移っただけ・・・・

多くの人はそう感じていただろうと思う。

武士は武士として依然として存在し、服装も変わらず生活様式に大きな変化は見られない。

国家管理の仕方もそれほど大きく変化したわけではない。

しかし、とても大きな変化があった。


それは

「戦争が無くなった」

ということ。


徳川家康がとことん拘ったのは、まさにそこなのでしょう。

しかし、それは非常に内面的な要素が「激変」したのであって、「見た目やカタチ」としてわかるものではない。

だから多くの人はそんな「変化」に然程(さほど)気付いていなかっただろうと思います。



大阪城の落城後、戦争というものは無くなったが、時代の変化を受け入れられない者たちが、あちらこちらで隆起していたが、それらはすべて「鎮圧」というカタチで処理されていった。


鎖国をしたのも戦争回避が第一目的である。

当時日本に来ていた「宣教師」たちは、ある意味諸外国の「密偵」でもある。

日本に来て「攻め入る」ことが出来ないと判断した宣教師たちは、諸国の大名の中に入り込み、内部分裂を画策していた。

織田信長に接近したポルトガルのイエズス会宣教師ルイス・フロイス

伊達政宗に接近したスペインのフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ

どちらも日本に内乱を起こして、仲間同士で戦わせて弱体化させ、やがて影響力を及ぼしていく・・・

という「革命」の鉄則を遂行していた。


イギリスやフランスがアメリカ大陸で「ネイティブアメリカン」に接近し、味方同士で戦わせてやがて弱体化したネイティブたちを一掃したのも同じことである。



豊臣秀吉や徳川家康が「キリシタンを迫害した」

歴史ではそのように教えられるが、実態は「内部分裂」するのを避けるために行っていたことである。

ようやく苦しい戦国時代を乗り越えて、戦争のない国家となりつつあるときである。

そんな時にキリスト教の「布教」を名目に大名を誘惑し、戦争を誘発する宣教師たちの意図が、彼らには「見え見え」だっただろう。

「宣教」の仮面の下にある顔は、植民地を増やし続けていた大航海時代のポルトガル、スペインの「欲望に満ちた醜い顔」でしかない。



だから、裏切り者として名高い明智光秀は、実のところ「国家存亡の危機を救った英雄」なのかもしれない。

宣教師たちが最終的に狙うのは、当然のことながら「天皇家」だからである。



こんな理由があるから徳川家康は「鎖国」をしたのである。

それほど「戦争回避」を第一義にしていた。

彼の旗印は

「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえど ごんぐじょうど)

戦争に明け暮れる穢れた国土を離れて「浄土」を求めるということです。




そんな人の内面的なことだから、とてつもなく時代が変わってはいるのだが、実際に「変わった」と心から思えたのは、関ケ原の戦いからおよそ80年後の「元禄」の時代になってからなのだろう。

「元禄」は徳川5代目である。

しかし、実際に時代が切り替わった瞬間は「関ケ原」なのだと・・・




● ● ● ● ●



時代の切り替わりの時は、けっこう「カオス」なものである。

そのカオスが「カタチ」として現れるか、それとも「水面下」で現れているかの違いがある。


現在、そんなカオスが「水面下」で起こっている。

カタチとして現れないから変化が無いように思えるが、実はとてつもなく大きな変化が起こっている。

その変化の行きつく先を決めるのは、一握りの人間の意思ではない。

常に時代の行きつく先は、多くの人の「集合意識」が求める先にある。


長い長い戦国時代を憂いていた集合意識が、のちに300年続く戦争のない時代を築いた。

そして、300年続いた平和な時代の行き詰まりを感じていた集合意識が、明治維新の革命を歓迎した。


大きな変化の土台には、必ず「集合意識」がある。

そんな集合意識をうまく「利用」するのが権力者というものである。

いいように利用するならいいが、悪用することも当然ながら同じように出来る。



もし、集合意識が「現状から逃れたい」と思うだけであれば、いくらでも悪用されるだろう。

逃げ道を作るだけでいいのだから、都合のいい「逃げ道」を用意すればいいだけのことである。

しかし、「こう在りたい」と集合意識が願えば、それは変えようがなく、「在りたい」願いへと軌道を変えていく。



そんな「在りたい」を巡って行われる「攻防」がある。

それが「潜在意識」へと行われる「ミスリード」というもの。

知らず知らずのうちに「こう在りたい」と思うように、じわじわと意識に浸透させて、人の「在りたい」を誘導するのである。


だからずっと問い続けている。

「たった一つ願いが叶うなら、何を望む?」と・・・・・


三つも四つも願いが叶うなら、いろいろ欲しくなるだろう。

しかし、そんな心に付け込むのが「ミスリード」である。




そんな心に付け込まれたミスリードが増大しているのが、近頃本当によく目につく。

それは仕方のない事とも言える。

何せ「宣教師」の仮面を被っているのだから・・・



自分が真実に在れば簡単にわかるのだが、「真実に在る」ことが簡単ではないから、どうしても欲望を揺さぶられてしまう。

宣教師の仮面を被る密偵の如く、善意の仮面を付けた煩悩・・・

多くの人が簡単に取り込まれてしまうだろう。




「真実に在る」とは「真実を見つける」ことから始まる。

自分の中にある真実を。

だから何度でも問う。

「たった一つの願いが叶うなら?」と・・・




仏教では煩悩の根本を「三毒」という。

つまり「毒」である。

毒のような世界が現出しているなら、それは煩悩の現れであろう。

三つも四つも願っていると、かならずこの煩悩に付け込まれてミスリードされる。

それは「人」だから仕方のない事でもある。

それをよく知ったうえで付け込んでいるのだから。


しかし、たった一つとなると、煩悩の入り込む隙間がなくなる。

それは、「人」だからこそ「たった一つ」となったときに、人が願う事を信頼しているからです。



他の何を奪われても、世界を敵に回しても、これだけは譲れない・・・

それをとことん考えてほしいと願います。

そして、集合意識がそこへ行きついたなら、未来は必ずそこへ向かうからです。

もはや変えようがない大きな「流れ」となっていくでしょう。



なにも「他の願いをするな」ということではありません。

ただ、どんな願いよりもことさら「強く」願ってほしいと思います。

そんな「たった一つの願い」を見つけて、「真実の自分」で在ってほしいと願います。





The Healer by Koji Asada

龍使いの女神の力と龍使いの力を持つHealer & Therapist 独自のヒーリングセラピーで『魂』まで【癒し】をお届けします

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淺田 こーじ


独自のボディワークとヒーリングワークによる「ゆらぎ」のセラピーメソッド開発

●ボディセラピスト
●ヒーラー
●アロマブレンダー

特定非営利活動法人 日本メディカルハーブ協会
 メディカルハーブ・コーディネーター
公益社団法人 日本アロマ環境協会
 アロマテラピーアドバイザー