運命(さだめ)




なんだろう・・・

最近になって予感がちらつく。


運命(さだめ)とはなんだろう?

そんなことを考えてしまう。




調査を生業(なりわい)としてきて、情報を生業としてきて、戦うような生き方から一転して、セラピストとなり穏やかな日々が訪れるのだろうと思っていた。

実際、ここ数年は穏やかだった。


あのオドロオドロしい世界から離れて、日常は穏やかに進んでいたはずである。

それがスピリットを少しずつ極めていく中で、極めれば極めるほど、かつて戦っていたものの存在へと近づいていることに気付く。

離れたはずなのに何故か「更に近づいて」いた・・・



やがて、それほど遠くない未来にスピリットの時代が来る。

それがわかっていて、彼らは手をこまねいているはずがない。


見渡せば、すでにあちこちに張り巡らされた仕掛けを目にする。

当然だろう。

長い間世界に君臨し続けてきたほどの者たちだ。

そんな簡単に壊れはしない。




昨今、真実が明らかになり、かつての支配が崩れ始めていると言われている。

その明らかになった「真実」とは何か?

それはすでに古くなり、それほど価値のないものばかり。

10年も20年も30年も前から明らかになっていたこと。

古い雑誌が価値を持たないのと同様に、既に暴かれた古い真実にもさして価値はない。

価値がないことを知っているから、気にも留めていないのだろう。

それよりも、「ミスリード」することの方が価値があることを知っている。

だから、崩れた砂の城から新しい「価値」を、まるで自然に「創造」されたように見える形で出現させる。

そのために、ずいぶん前から種まきをして、やがて実ったところで収穫するのだろう。



以前にも「陰謀論」として書いたが、実際は陰謀ではなく「戦略」なのである。




緻密な科学と心理学とスピリットの錬金術で、練に練られた戦略的な計画と言える。

それがどれほど大規模なものか・・・

私のたった一人の思考では及びもつかない。




かつてもそうであったが、思考だけでは到底追いつけないし太刀打ちできない。

その無力さもあって、そんな戦いから離れたのだった。

しかし、ここにきて再び目の当たりにする。

遠く離れたと思っていたのに、以前よりさらに近づいている。



かつては多少なりとも警戒され、監視もされていたが、今は遠いところにいるので離れたと思っていた。

それが、最近はもっと巧妙な形で「見られている」のがわかる。


特に何を秘密にしているわけでもないので、別に見られたところで構わないのだが、そんな監視者が現れることで「近づいて」いることがよくわかる。


・・・・・・



さて

殆どの方は「何をいっているんだ?」と思うでしょう。

それでかまいません。

「彼ら」に届きさえすればいい。





「戦の一字を忘れるなかれ」

高杉晋作や西郷隆盛がそんなことを言っていたと思います。


実際、忘れたことはありません。

常に心の中にあります。

そして、いまも戦い続けていると思っています。

それは、対決のような戦いではありません。

もはやそのような戦い自体に価値はないはずです。


私が昔から戦っていたものの根本にあるものは、「自由」と「自立」への渇望です。

人の潜在意識にまで入り込み、枷をはめ束縛するものへの戦いです。




「戦うなんてもういいだろう」

という本音があります。

穏やかに生きたいという本音があります。

しかし「戦」の本音もあります。


「自由」と「自立」を求める限り、避けては通れない道なのかもしれない・・・

そんな予感もあります。



だから・・・

運命(さだめ)とは何だろう?

そんなことを考える今日この頃です。


どんなに横道に反れたように思えても、どんなに道が途絶えたように思えても、結局はしかるべき道に戻ってゆく・・・

今日明日がどんなに道から離れたようになっていても、自らの魂が望んでいる強い思いがあるなら、やがてそこへと回帰する。

必要な経験を積んで・・・・・

運命(さだめ)とはそういうものなのだろうと思う。



・・・・・・


どう生きるのかを迷っているのではなく

この先「どう転がるか?」で、どこへ導かれてゆくのだろうか・・・という思いです。


だからと言って、転がるまで動かないのは愚かなこと。

今出来る最善を尽くすため、「布石」の種を撒く。

転がる方向に布石の種が芽生えていれば、育てて収穫していけばいいわけで、そちらに転がらなければ単なる捨て石になるだけです。


囚われず拘らず、瞬間瞬間に最善を尽くせばいい。

それが「自由」の在り方だから。


だから戦わない。

対決して「自由」を勝ち取るのではなく、ただただ「自由」で「在り続ける」ことが、戦わずに「負けない」ことだから。

ただ、自分が「自由」で「在り続ける」ことが、唯一の戦いなのだろうと思います。


自らの中にある「この世のカルマ」を浄化すること。

それが「自由」で在ることなのだと思っています。




「合気道は無抵抗、ゆえに最強である。」

塩田剛三師の言葉です。

まさにその通りだと、最近つくづく思うようになりました。




自由で在り続けるためには、自由で在ることに「囚われ」ないでください。




北野坂如水庵


The Healer by Koji Asada

龍使いの女神の力と龍使いの力を持つHealer & Therapist 独自のヒーリングセラピーで『魂』まで【癒し】をお届けします

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淺田 こーじ


独自のボディワークとヒーリングワークによる「ゆらぎ」のセラピーメソッド開発

●ボディセラピスト
●ヒーラー
●アロマブレンダー

特定非営利活動法人 日本メディカルハーブ協会
 メディカルハーブ・コーディネーター
公益社団法人 日本アロマ環境協会
 アロマテラピーアドバイザー