委ねる ~ゆらぎセラピーの理 第5番


無分別の分別



「無分別の分別」という言葉があります。

分別とは道理をわきまえた判断や思考です。

無分別とはそれらが「無い」ということです。


物事をありのまま、ただ受け入れることが無分別なわけです。


単に無分別なだけではなく、分別を付けるということでもなく、「無分別の分別」ということです。



ありのままを受け入れて、ありのまま反応する。


・・・・・・



夢想剣


一刀流の開祖、伊藤一刀斎という人がある時、ぼーっと歩いているところへいきなり暗闇から斬りかかった侍がいました。


刀が振り下ろされる瞬間に伊藤一刀斎はそれに気づいて、無意識に刀を抜いて相手を切り捨てていました。

ただ、本人は『影か何かを斬った』と思っていたそうで、まるで夢の中にいた感覚のようでした。

よく覚えていないんですね。



ただ心がありのままを捉えて受け入れ、身体が勝手に反応したわけです。


もしここで分別する心が動いていれば、相手を見て様々な思考が巡り納得するための判断を下すまでにかなりの時間を要します。

暗闇から刀を振りかぶって出来てきた相手を見て「こいつは誰だ?」「俺を斬ろうとしているのか?」「何故だ?」「応戦しなきゃいけない」というのが分別です。



ですが、ただ単に「殺気」を感じ取って無意識に応戦した・・・

というのが無分別の分別です。


応戦するのが分別なわけです。


ただし、意識はしていない。

そこが「無分別の分別」なわけです。





委ねる


ゆらぎセラピーでの委ねるということは、心の感ずるままに委ねるということです。


先に「こうだろう」とか「こうじゃないかな?」とかの先入観を一切排除します。


そして手先、指先から伝わるものを心でありのまま見て受け入れるわけです。

そして、ありのまま受け入れた後に手技がついていくだけです。


手指の動きの瞬間瞬間を感じながら、手先から伝わる感覚を瞬間瞬間感じ取りながら、無分別の心に委ねるわけです。




ありのままを観ていると、身体から伝わる感情なども見えてきます。

そして今に至る情景もおぼろげながら感じられてきます。


身体が今に至った感情や、日常の風景、そしてそれに対応している心。

そんなものが感じられます。


身体が疲れているということは、心も疲れているということです。


心の動きが身体の動きとなるわけですから当然でしょう。

身体が動く前には必ず心が動き、感情が動き、思考が動いているわけですから。




身体の使い方のクセがあるように、思考のクセ、心の動きのクセも当然あります。


日常がどのようなもので、どのように心が反応して、その後に身体が反応しているのかという流れがあるわけです。

その流れを観ることも大切なことです。




無分別の心に「委ねる」ということは、ありのままを観るということです。


何の「ありのまま」を観るのか?


身体という肉体のありのままをみるのではありません。

肉体だけ見ている時点で「分別」がすでに働いているということです。


「ありのまま」とは「人」そのものの「ありのまま」を観ることです。


人とは、心があり、感情があり、肉体があり、日常があり、生活があり、過去があり、未来があり、想い出があり、夢があり、喜怒哀楽があり、そして魂がある。



それらの一つ一つが少なからず肉体に当然のように影響しているわけです。

だから無分別な心「委ねる」必要があるのです。




セラピーは手先だけでするものではありません。

無分別な心はそれをよく知っています。

無分別な心がありのままを観て、無分別な心が動くように行動する。


特に大切なのは「言葉」



感じたままに動く心から発する言葉も癒しの技です。




無分別の分別


それに委ねてこそ「人」そのものを癒すセラピーとなります。


それが ゆらぎセラピーの「委ねる理(ことわり)」です。








The Healer by Koji Asada

龍使いの女神の力と龍使いの力を持つHealer & Therapist 独自のヒーリングセラピーで『魂』まで【癒し】をお届けします

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淺田 こーじ


独自のボディワークとヒーリングワークによる「ゆらぎ」のセラピーメソッド開発

●ボディセラピスト
●ヒーラー
●アロマブレンダー

特定非営利活動法人 日本メディカルハーブ協会
 メディカルハーブ・コーディネーター
公益社団法人 日本アロマ環境協会
 アロマテラピーアドバイザー